コペンのオッサンの独り言・昔も今も変わらない・追求する事の教えが今・真の師匠・変な裏ワザに関するカスタム事例
2026年05月12日 11時13分
一時期、板金塗装の仕事を役30年以上経験しましたが、ハンマーを放しパソコンと睨めっこの毎日で業界辞め、別の職種で活躍してました。50過ぎのオッサンになり、「好きな事をやりたい」の決意で微々たる設備通しで小さなブースを間借り。再生屋として。デザイナーとして。放送作家として。を生業に楽しむ腰痛おじさんです。。
お疲れ様です。本日通院の為お休みおじさんです。。
母の日でしたね。。久しぶりに実家に花とプレゼント持って行って来ました。
おふくろは相変わらず、ニコニコしながら
「これから店開けなきゃだから。プレゼントありがとうねー!!(笑)」ってドライな対応でしたが。。(笑)
元気で現役で仕事してる。力貰ってますよ。
既に現役引退したオヤジが「おっ!塗ったか!ネズミ色も眩しいのか?」
クルマに関してはオヤジは半端ない人間でして。。自身若かりし頃に在日米兵さん持ち込んだヘミエンジンオーバーホールしてたりガレージ爆音近所迷惑でセッティングとか
。。米兵さん沖縄で乗り回す車両のエンジンチューニングしてたり。
本職は大工なのに。。(笑)
「眩しいってなにが?!」
「いや、ボンネットだけ濃いネズミ色じゃんか。やっぱり直射眩しいんか?」
1960年代から70年頃でしょうか。日本車が世界選手権のラリーに参戦、自身覚えているのが、ミツビシのランサーだったり、ニッサンのブルーバード510とかZとか。そんな競技用車両のボンネットは艶消しの黒でした。
オヤジいわく過酷なハード走行でとにかくボンネットからの直射で目をやられるからボンネットは艶消しの黒。当初ダサいと言われたてたけど、ステアリング握るドライバーの提案からそうなったと昔、むかしにオヤジから教わった記憶。
そんな教えも現在はカッコよくってスタイルに変わりつつ。
「時代は違うけど良いと言うよ。(笑)」
70年代、半分アメリカだった沖縄では、米兵が週末楽しんでたジムカーナ。
オヤジは友達の車両のサポートで色々やってたらしいけど。
当時米兵さんからの依頼が多くて一時期本業休んで油塗れになってた事を覚えてます。
「一瞬の走行で決まるドラックだったり、ジムカーナの車両ってな。皆んなオイルも新品交換で勝負に挑んでるけど、特にデブオイルな。。会場来て直ぐに米兵自ら新品オイルに変えた新しいデブオイル抜いて、エンジンオイル入れたよ。(笑)もちろん競技終われば元に戻した。保々走って無い熱も入って無い。濃度が硬いんだよ。デブの反応に秒数影響してたと思ってさ。
パイロン切り返しでコンマ数秒速かったな。。。新しいから良いって事じゃない。馴染んでるから良い。デブオイルはな。。数分ならエンジンオイルでギヤの能力発揮するよ。ロングランな街乗りはNGだけど。一瞬速く前にってなればな。ダチにはそのままで持って来いって言ってた。デブオイルはその場で抜き替えするからってね。」
マネしないでくださいね。時代のお話です。(笑)
5月は父の日か。。むかし夜に助手席自分乗せて走りながら色々教えてくれた。クルマも漢としての話しも。
今度は自分造ったコペンの助手席に乗せて意見を聞きたい。ダメ出しでもなんでも。
ここまで長文お付き合い頂きありがとうございました。

