ヴォクシーの座敷童ちゃんと観光・座敷童ちゃん・第三海堡・横須賀市・追浜に関するカスタム事例
2025年09月03日 20時05分
座敷童ちゃんと観光
第17弾
神奈川県横須賀市追浜地区
東京湾海上人工要塞遺構
第三海堡
かつて東京湾には首都防衛の為の三つの海堡が存在しました。
海堡とは、砲台を設置する目的の人工の海上要塞です。
比較的浅瀬の第一海堡(水深1.2〜4.6m)、第二海堡(水深8〜12m)に対し水深39mの海にひたすら石を投げ込んで作った第三海堡は途中視察に来たドイツ人のレンネ少佐に『世界に例のない無謀な⼯事』とお褒めの言葉(笑)を頂いたそう。
第三海堡は明治25(1892)年に着工、大正10(1921)年に遂に完成しました。30年間に及ぶ困難続きの工事期間の末の完成でしたが、哀れ2年後の関東大震災により回復不能なほど徹底的に崩壊し、海中に没しました。莫大な予算を費やした国家プロジェクトがあっという間に一度も活用されずに海洋ゴミとなったのです。
その後大破した第三海堡は、波浪により崩壊がドンドコ進み、誰もが煙たがる立派な人工の暗礁になってしまいました。
第三海堡は浦賀水道航路において最も邪魔となる場所に作ってしまった為、海難事故が多発。
主な東京湾の海難事故の15件中11件が第三海堡のせいで発生です。
ならばと、航路の安全を確保するため、撤去の提案は度々上がりましたが、なかなか実行されずに年月は流れました。
いよいよ重い腰を上げて、第三海堡を撤去し水深23mを確保しようとする工事が始まったのは、なんと平成12年(2000年)になってからです
撤去構造物は海に捨ててしまえ、の意見もある一方で大正時代の貴重な建造物という歴史的価値も考慮し一部保管案が生まれました、大型兵舎はうみかぜ公園に移設、探照灯、砲台砲側庫、地下通路、観測所の4つの構造物が、追浜の展示施設(民有地)に保存・展示されていました。
しかし、撤去工事終了後の展示施設の維持が思ったより困難で、移設場所がなければ、この貴重な遺産が廃棄されるとの話が出ました。それでも追浜地区内には残したいとの声が出ます。 しかし、いずれもかなりの重量物で陸上輸送が出来ず(タイヤもアスファルトも持たない)、海上輸送でクレーンのアームが届く範囲にしか移送できないなど、困難な条件は山積みです。
結果、国(国土交通省)と横須賀市の協議が整い、夏島都市緑地内に移設され、保存・公開されることとなりました。(地下通路は運搬に絶えられないとして移設されませんでした)
現在、日産追浜工場の閉鎖で話題となっていますが、追浜には、貝山地下壕、夏島貝塚、明治憲法起草の地の碑、伊藤博文別邸(こちらは横浜市ですね)などの歴史遺産があり、第三海堡構造物もこうした地域資産と連携し、活用をはかることが求められています。しかしいずれもその資産が十分活かしきれているかというと、そうではない気がしますね。
前回、現存する第二海堡への上陸を果たした座敷童ちゃん、海中に没し今は亡き第三海堡への興味が湧いたところ。追浜地区に第三海堡の一部が展示されている事を知ります。
しかし、いつでもみれるわけではなく、毎月の第一日曜日のみの公開と聞いてしっかりとスケジュール調整して行ってきました。
現地では貴重な資料の展示や、ボランティアのガイドさんともしっかりと仲良くなって、大満足の座敷童ちゃんでした。
港街の横須賀と聞いてしっかりとセーラー服で武装するあたり。艦これやハイスクールフリートを意識しているに違いありません😅
横須賀市は、日本で初めて鎮守府が置かれたまちとして、他の旧軍港市(呉市・佐世保市・舞鶴市)とともに、「日本近代化の躍動を体験できるまち」として、2016年4月25日日本遺産に認定されました。第三海堡遺構も、横須賀市の日本遺産構成文化財となっています。