ハイゼットカーゴの三連休・選挙に行こう・土用の丑の日・期日前投票・草ヒロに関するカスタム事例
2025年07月20日 19時35分
2023年5月からMAX7台!減車と廃車で元々の4台になりました… 1年慣れ親しんだアイコンから2023年6/2日に 新しいヘッドライトにアイコンを変更しました…
ファイルタイプはサポートされてません…
というのは…!?
アップデートしたら
おかしくなったぞCARTUNE…
お知らせの通り…許可が何とかとか?
少し前の写真はどうするの?
残念な事に…写真と動画が
30枚しか貼れなくなりました…
早期のアップデートを運営様に
お願い致します…
前回、右のバスが個人的に妙に気になり帰り車を運転しながら考え
少し調べてみるとほぼ1959年式で
間違えなさそうです…
となると…UDのマークは付いているものの今私達の時代は日産ディーゼルですが…この時代の場合1955年に日本のバス大型化と高速化によりUDエンジンとなりもしかしたらエンジン形式という意味のエンブレムかもしれません
1960年に社名変更しているので
民生ディーゼルとなりボディーメーカーが極めて珍しい富士重の車体になります
左のイーグル号は
1951年より製造が開始されたリアエンジンバスで、新日国工業製ボディのものは「イーグル」と名付けられ同じエンジンを搭載していますが、ボディメーカーやサイズに相違があることなどから型式が分けられています。1955年にUDエンジンへのモデルチェンジに合わせて型式がRS(Sは新日国の頭文字)に区別されました。
1959年で生産が終了しています。
民生ディーゼルが1950年に初めて発売したリアエンジンバスが「コンドル号」で、KD3型2サイクルエンジンを横置きしたフレームレスモノコック構造で、富士重工製のボディが架装されます。
当初の型式はBRで、他のボディを架装するものも合わせてラインナップを広げますが、1955年にUDエンジンの採用と同時に型式がRF(Fは富士重工の頭文字)に区別されました。またUD6型高出力エンジンを持つ6RFも加わっています。
1960年には日産ディーゼル工業への社名変更と同時に、4R系に発展的解消を遂げています。
右のコンドル号は
1955年のUDエンジン採用時に、更に長いRF100に一旦その道を譲りましたが、1958年にRF101Sとして復活します。
3月に見に行ったイーグル号と7月に見たコンドル号は日産で言えば
セドリックとグロリアになり
イーグル号を見て何も無かったのが点線からコンドル号で1本の線となり
66年前工場から生き別れた兄と弟に会った事になる…(工場はいくつあったかは誰も知らない)
工場出荷時に本人達に66年後に
1人の尋ね人がやって来る…
誰に言っても信じないだろぅが…
日本の高度成長期…数えきれない人々の思いを乗せて走ったバス…役目を終えてひっそりと放置されて言葉は発しない…
その存在は語り継がれる事もないが
66年と言う時空を超えて会えた事に
感謝しています…