kurara🌺さんが投稿した富士グランドチャンピオン・GCグラチャン・ルノーアルピーヌ・ローラ・コロナウイルスに負けるなに関するカスタム事例
2020年04月25日 19時23分
Thank you for watching my car or blog photos are nice! I will attach it, or I will follow you without comment, so please feel free to get involved. It is the 12th year of Okinawa migration Thank you
CTフレンズの皆さん
こんばんは😃
stay homeですね😜
今の日本のレースで人気と言ったら
スーパーGTですよね。
それ以前のF1人気以前に日本で一番盛り上がったのGC、グラチャンシリーズでした。
今日は「思い出アルバム・グラチャン」
です。
GC、グラチャンとは正式名(富士グランチャンピオンレース)は、1971年から1989年まで主に富士スピードウェイで開催された自動車レースのシリーズ戦である。
当時まだ若かった私の在籍していた会社はレースチームを所有しており、
当時の日本での最高峰F2及びGCに参戦していてその影響もあって特に70年代のGCレースは大好きになっていた時期があった。
私のボス所有のマシン
ルノーはマシンを販売してなかったが
フランスに特別のコネを持っていた社長がアルピーヌから購入、77年当時は他に自動車メーカー製のワークスレーシングカーで参戦してるチームは居なかった。
1977年
マシン:ルノー・アルピーヌ A441
エンジン:ルノー・ゴルディーニ 1997cc/V6/NA
契約ドライバー:見崎清志、鈴木恵一、岡本安弘
ポルシェ908 Ⅱ
風戸裕(風戸レーシング)
風戸自身がバイザッハのポルシェ本社まで出向き入手したものです。3.0Lフラット8をミッドシップに搭載していた。
マクラーレンM12
(酒井レーシング)
酒井 正自身がオーナーを務める「酒井レーシング」が71年に持ち込んだマクラーレン M12
7.0L のシボレーV8 OHVエンジンは700馬力超でまるでアメリカの本場Can-Amを席巻するオレンジ色のマシンで途轍もなく速かったです。
その後「シェヴロンB19」と「ローラT212」という2リッターレーシングカーが速さと信頼性を見せつけるようになってきた。
73年の生沢徹とシグマGC73
このマシンはシグマCG73としてルマン24時間に挑戦してましたね。
生沢徹が71年に持ち込んだポルシェ
917K
もう一つグラチャンで個人的に外せ無いのが高原敬武とムーンクラフトとガレージ伊太利屋の関係だろう。
1977年 紫電77
高原敬武 伊太利屋 マーチ 745
富士GC 1976 チャンピオン マシン
ティームオーナーの菊池英雄さんは
ラモーダ・ゴジ・伊太利屋というアパレル会社のオーナーでこのGojiというのが社長の愛称です。
ピンクのロールスロイスやイタリアヴォーグ誌に掲載された豹と一緒の写真が載ったりと有名な方でした。
その後ガレージ・伊太利屋を立ち上げましたね。
由良拓也率いる ムーンクラフトの紫電77は純国産マシンでとても美しかったがグラチャンです闘うにはマシンに色々と問題が有った。
マーチ822/BMW/BS ムーンクラフト
1983年 星野一義
シェブロン B19
ローラT212と同じく1.8L FCVエンジンを搭載するマシン。
シェブロンはイギリスのバックヤードビルダーで、納屋のようなガレージでハンドメイドされていたと言われています。
始まり当初のグラチャンは「ポルシェ908/2」や7リッターエンジンを搭載する「マクラーレンM12」などのレーシングカーから、「日産フェアレディ240Z」 や「ホンダS800」の改造車までが混走してました。
ドライバーも生沢 徹、高原敬武、風戸 裕などが、プライベートチームを作って参戦して顔ぶれも豪華でしたね。
PORSCHE908II 1971
風戸 裕
初期のグラチャンで絶対外せないのが
ポスト生沢徹と言われた風戸裕だろう。
私個人的にはこのマシンと風戸裕が
大好きでだった。
当時かなり憧れたのを覚えてます。
アメリカへ渡り、Can-AMシリーズを経験しての富士GCへフル参戦してましたね。
当然ボスのGCカーのA441も好きでした。
1975年の富士GC第4戦のマスターズ250KmレースにJPジャブイーユと共に襲来したA441
ポールポジションを獲ったが、決勝は雨で延期になり出走できなかった。
ローラT212
1.8L フォードコスワースFCVエンジン搭載の軽量マシン
高原敬武が、いち早く輸入したマシンなのでその後3度GCを制しました。
74年の風戸裕とシェブロン
近年4000万円で売りに出ていた
シェブロンB19
個人的には、日本で行なわれていたレースでは、一番面楽しかったし日本でも
一番盛り上がったレースだったと思います。
アルピーヌA442turbo 1978
ルマン winner
アルピーヌは1973年にルノーに買収されました。
A441は1974年当時ヨーロッパで隆盛を極めていた2リッターレースでチャンピオンになってました。
A441のデザインはは後にプジョー905やトヨタTS020をデザインしたアンドレ・デ・コルタンツですね。
その後A442ターボで1978年にルマン24時間レースで優勝します。
富士ロングディスタンスシリーズへ参戦。
1977年
マシン:ルノー・アルピーヌA441
エンジン:ルノー・ゴルディーニV6
契約ドライバー:長谷見昌弘、星野一義、ニコ・ニコル、関
(写真、向かって右から長谷見昌弘、ボスの息子、ボス、星野一義)
当時ボスは、星野一義より長谷見昌弘に信頼を置いていた。
当時のレース界では長谷見選手はマシンを壊さなくて有名だった。
今、考えたら契約ドライバーはF2には中嶋悟を起用するなど豪華なレーサーメンバーだったと思う。
子供の頃から動く物、車が好きだった私ですが、今日に至る迄の車バカ人生はこの時のボスの影響がかなりあったのは否めないです。
おしまい