BGFKさんが投稿した「ハイレゾ」「解像度」「音楽性」に関するカスタム事例
2025年11月09日 08時22分
□音楽を語り楽しみ感じるオーディオを □リンクはブログ「生音リファレンス」これまでのコンサート記録とオーディオについての断片的な考え □八王子オフ関連はLINEのオープンチャット「八王子オフ(カーオーディオ)」へどうぞ
おはようございます
昨晩生音のコンサート聴きながら考えていたことをまとめた
以下↓
以前から、自分は「ハイレゾ等のダウンロード・配信音源」をスピーカーで再生しても「面白くない」と感じていた
その理由として考えていたのは、これらの音源の製作では、「ヘッドホン」での再生に最適化されているため、「スピーカー」で鳴らしても面白くない、というというものだった
この点についてGoogleAIに質問したところ、おおよそ次のような返答だった
・音響エンジニア側で「ヘッドホン再生」に合わせて製作することはない
・ヘッドホンの再生は、結果としてスピーカーよりもハイレゾ再生との親和性が高い可能性がある
・その理由として、スピーカー再生ではリスニング環境によってハイレゾのもつ情報量が損なわれる可能性が高いが、ヘッドホンでは直接耳に音が届くので情報量が損なわれる可能性が低くなる
・ハイレゾ聴いて面白くないというはお前の再生環境が糞だからだ(意訳)
という感じで、最後のハイレゾ推しはまさに業界の意向を代弁するかのようなものだった(笑)
次に、現代ポップスでは、ハイレゾ等よりもYoutubeに上げているMVのほうがスピーカー鳴らして聴くと面白いと感じるのはなぜか?と聞いたところ、いくつか言っていたが特に注目点はなく、強いて言えば
・YoutubeのMV用にはラウドネスカーブを変更している場合がある
というものだった
自分がハイレゾ等を再生して面白くないというのは、ジャンルとしては現代ポップスとクラシックに限定しての話だが
総じて音場が平面的になり、音の躍動感が乏しくなる、という部分だ
それが、youtubeとの比較でそう思うのである
現代ポップスにおいては、たしかにラウドネスカーブを変更しただけでそういう違いとなって感じる可能性はあるかもしれない
しかし、クラシックではもっと根深いものがあると感じている
これまでいくつかのハイレゾ音源と、youtubeに上がっている世界のコンサートライブ音源との全体的な印象の比較であるので、同じ収録での比較ではない
しかし全体的な印象としては、youtubeに上がっているもののほうが総じて全然面白い、のだ
ここから先の分析は、まだ認識途中のもので今後変わる可能性があるものだが、
現時点で思っているのを列挙すると
・「ハイレゾ」というのは従来のCD規格にたいして情報量が大幅に増えたものであるが、
(サンプリングレート、ビット深度、周波数特性、ダイナミックレンジ)
「ハイレゾリューション=高解像度」ということから、音源製作では「解像度最優先」に矮小化している嫌いがあるのではないか
・人間は音の空間認識方法では、手前と奥に音源がある場合に、音像のシャープさ(解像度とほぼイコール)とディレイ感のわずかな差異、また空間における反射音、これらの総合で空間を感じていると思う(ここも不正確かもだが)
・音源(ここでの音源とは、音声再生するためのデータやメディアのこと)製作で「解像度優先」となると、ややもすると奥側の音源(楽器等)がどう聴こえるのが自然なのかとか、反射音の存在を活かすとかは極論すると「不要」となり、それぞれの音源(楽器等)の解像度を上げることが無条件に「正解」となっていく
・この結果、オーケストラの収録ではステージにマイクが林立して、各楽器をダイレクトに収録することが重要視され、その結果は一聴するとまさに「高解像度」な音となる
・だがしかし、こうして収録された音は自分がN響の収録で感じるように、すべての楽器がすべて等しく自分の目の前で鳴っていてホールの一座席から聴く音とは異なる「異質な何か」となり、気持ち悪くて聴いていられなくなるのである
・結果として、「解像度」優先の収録では、人間が本来音楽で感じる際の空間認識(上記)から大きく逸脱して、「人工的な何か」を押し付けてくる結果となり、自分のように「面白くない」からさらには「気持ち悪くて聴いてられない」と感じることになる
・ハイレゾ規格自体は、従来のCD規格を超える情報量があるにもかかわらず、「ハイレゾ=高解像度」という言葉が独り歩きして、高解像度な音源こそ正義、のような風潮が蔓延して
・結果、本来の音楽がもつ広がりや豊かな要素のうち、ある側面だけに矮小化されクローズアップされてしまっている
・それは結局のところ製作側の「音楽性」に行きつく
もちろん「音楽性って何よ?」と聞かれても、答えられないのではあるが(笑)
そいう言うことかなあと
