地獄のインプレッサ〔宮城県都市伝説・β〕さんが投稿したAW11・ホンダ・ローライダー・日産・ラシーンに関するカスタム事例
2025年10月24日 21時30分
2010年頃〔詳細不明〕大阪のショッピングモール駐車場内で事故が起きた。 老人がアクセルとブレーキを踏み間違えた。死者も発生した事でニュースになった。 事故を起こしたインプレッサはスクラップ場へと運ばれた。 2013年11月30日ワイルドスピード出演のポールウォーカーがこの世を去り、1人のチューナーが彼へのレクイエムとして蘇えらせた。 歴代のオーナーは不明だが、現在は仙台市内によく現れる。
〔その男、帰国子女につき〕
本格的なラッパーを目指す為、留学した。当時の我々日本人はケータイより、ピッチと呼ばれる電話が主流だったと思う。
海外のケータイ画面はモノクロだった。マトリックスのキアヌが持っていたケータイをイメージして欲しい。そんな中、カラー画面のケータイを持った日本人留学生わたくしベータはクラスの人気者になった。
「oh!sh※t!Japanese skill is crazy!」
と、まるで未来人がタイムスリップしてきたかのような待遇だった。
生まれて初めて、日本人で良かった、と思った。
僕がいたエリアは16歳で免許が取れる。
生徒が登校する時は、マイカー。我々日本人には信じられない世界。
学校の駐車場はサビサビボロボロの車から、エアサス入りのキャデラック&シボレー&マーキュリー。西海岸だけに、ローライダーがいっぱいいた。
そんな危険地帯に唯一、一台だけ日本車があった。日産ラシーンだった。
フィリピンから移住して来た女の子だったかな?彼女に「なんで日本車なの?」と聞いた。
「メイドインジャパンって、信頼感があってデザインがカワイイじゃん。日本人って目に見えない気づかいができる人種じゃん???」
17歳の僕は告白した。そして付き合った。車を通じて異文化交流が始まった。
「日本車のホンダが、ばあ様を救ってくれた!」
という画像が話題になった。
事故って横転。でもピース✌️日本車最高!
さすが海外🤣
というのが、留学中の体験談。
ではここからナゼ僕が、走り屋とラッパーを兼任する二刀流になったのかは次回のつぶやきで告発します。
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